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「カメレオンの帰還」 その2

「カメレオンの帰還」 その2_e0024124_1402848.jpg間が開きましたが、続きです。


このような熟練した俳優として、シーウェルはステージへの登場を控えてきた。「アルカディア」以後、ロイヤル・コートで上演された「Rat in the Skull」では主役を、ナショナル・シアターでのジョン・オズボーンの「ルター」ではタイトルロールを、そしてその間、ウェスト・エンドでは「マクベス」を演じた。彼は今、その作品については露出しすぎだったと感じている。
「僕にわかっていた限りでは、リスクを犯そうとしているとは思えなかったんだ。自分が間違っていたとは思わないけれど、僕は小さい劇場での上演にすればよかったと思った。とは言っても、シャフツベリー・アベニューで終わりを迎えて、うまく成功して終わったんだけれど、僕がこうしたいと思っていたような理想的なやり方ではなかったんだ」

彼は久しぶりの舞台での仕事に、ここ数年の成果による印象をより強いものにしようとして焦燥を感じている。舞台俳優としてのシーウェルは、昨年彼がテレビで「じゃじゃ馬ならし」現代版でのペトルッキオを演じた時と同じようなものを見つけ出そうとしているように見える。彼は(そのドラマの中で)網タイツとキンキー・ブーツ、そしてミニスカートという姿で結婚式に現れたのだった。
「僕が探しているものは僕が演じるというアイデアを、観客が笑ってしまうようなものなんだ。そういう瞬間こそ、僕の持ち味だからね。観客が考えているのは僕の中でも理想化された部分で、たいていは僕が望んでいるようなこととは違うんだ」

彼はドラマスクールを出たのち、多様性という特徴を身につけた。彼はThe Royal Hunt of the Sun and Comedeiansという巡業劇団のキャストの1人だった。そこで彼はフランシスコ派の托鉢修道士や、その一方で精神障害者の1人芝居を演じたりした。
「その二つは大きく違う役だった。僕にとっては最高の場所だった」

「アルカディア」以降、彼は人々が彼に(同じような役を)繰り返すことを期待していることに気づいた。彼はBBC製作のドラマ「ミドルマーチ」で、再び物憂げなインテリ、ウィル・ラディスロウを演じた。彼はそのキャラクターの知性は人々の気づくところではなかったと主張する。

「ステレオタイプが、髪型で決まっていたんだ。みんな僕のことをそういう髪形の男だという風に見ていた」
彼はセプティマスをバイロン風の洒落者として演じたのだろうか?
「そうだよ。それが髪の毛の問題なんだ。僕はバイロン・ヘアーの地毛で登場しただろう?」
彼を演技の世界に導いたパフォーマンスはチャールズ・ロートンの「ノートル・ダムのせむし男」で、彼の最初の役は7歳の時のルンペルスティルスキンだった。彼はそれ以来、ずっと地団駄を踏み続けているのだ。

彼の髪の毛が引き金となった神経質そうな感じは、この性格俳優をロマンティックな立役者として、身動きが取れなくするという妙な先入観となった。「ミドルマーチ」ののち、彼は巻き毛を切って「マーサ・ミーツ・ボーイズ」の役柄を引き受けた。
「それがすごくいい映画だからというよりは、コメディーっぽい役割だったからなんだ」

それがパターンになった。シーウェルはすべてについて秀でていながら、彼は自分に繰り返しを試みさせるトリックという誘惑に抵抗し続けてきた。「ルター」ののち、彼はエキセントリックな役柄を受けた。
悪役を演じた「ロック・ユー!」ののちはBBCの受賞作品「チャールズ2世」で国王を、そして国王を演じた代償に、彼は8ヶ月間、仕事をしなかった。
「僕は全く違うことをするための努力をマメにし続けたんだよ。そうしたら、たまたまずいぶん長く待たなくてはならなくなったんだ。そしてとうとう、自分がターニング・ポイントにしようと思っていたよりもずっと妥協しやすいものにめぐり会えた」
彼が言っているのは、「レジェンド・オブ・ゾロ」への出演のことである。


つづく。

・・・・ルーファス、自分の固定化されたイメージと、ずいぶん戦ってきたんですね。
頑張ったのねーよしよし。
と、なんだか身内みたいな気分になってしまったワタシでした。
by mifuyusasa2 | 2006-06-19 19:53 | Rufus Interview
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